“熱”が伝わるように

 先日、地元で整形外科の先生とお会いしてきました。運動指導者としてお恥ずかしい限りですが、患者として。。。

 ジャズダンサーだった現役時代から腰に慢性障害を抱えているので、その定期点検というか現状確認のためです。先生ご自身が高校の大先輩ですし、リハビリ室には専門学校時代の教え子も勤務しているので、包み隠さず(隠せず?)診て貰えるこのクリニックでの受診は、自らの身体を教材に色々と勉強させてもらういい機会にもなっています。

 腰の状態に関する話はさておき(こういう話題になると、やたらと食いついてくれる同業の方も多いですが−苦笑−、お陰様でまだ現場には立てそうです)、この先生のお話を聞いていて毎回思うことがあります。

 それはずばり、熱意。

 我々運動の専門家もそうですが、選手やクライアントに対して話をするときに常に心がけるのが、「難しいことを、簡単に」説明することです。機能解剖学やバイオメカニクスなど学ぶ必要のない彼ら・彼女らの大部分は、自分の背骨が24個の小さな骨から成り立っていることなど知りませんし、トレーニング用語としての「力」と「パワー」の違いだって分かりません。もちろん、それが別に悪いことでもありません(ただし、トレーニングジムのスタッフがそういうことすら知らないのは、明らかに悪いことです。残念ながら、多くのフィットネスクラブで目にする光景ですが……)。

 大切なのは、それらを踏まえて「これこれこういう風になってるから、こんなエクササイズが必要なんですよ」、「ヒトの身体はこういう理屈で動くから、今はこんなトレーニングをやってもらっているんですよ」と、まずは相手の目線・相手の言語を基準に伝えようとすることであり、私自身も現場では常にこの“指導員永遠のテーマ”ともいえる課題を意識しています。……とは言え、これが本当に難しくていつも反省してばかりですが。

 しかし、この先生の語り口はそれに加えて、熱意というものがひしひしと感じられるのです。

 私がある程度は専門用語を使っても大丈夫な、自らのX線写真を喜んで見つめるおかしな患者、ということもあるかもしれませんが、以前の画像と比較しながら、「ちょっと進んでるねえ(苦笑)。多分、負荷と回復のバランスでいうと負荷の方がちょっと上回っちゃってるかな。これだけトレーニングしても、お仕事や何やらでまたこれ以上いじめちゃえば、やっぱり症状は進行しちゃいますから。今以上に緩めること、回復させることを意識した方がいいかもね。鍼とかの東洋医学も全然ありだと僕は思いますよ」と、こちらの目をしっかりと見つつ、身振り手振りを交えて診断を下してくれますし、分かりやすいイラスト入りの資料もわざわざ引っ張り出して「これって、そもそもが狭義には骨と骨をつなぐこの黄色靭帯の肥厚なんですよ。で、なんでそれが起きるかっていうと……」と診察机から身を乗り出すようにして、熱心に説明してくれます。傍から見ると、まるで出来の悪い生徒と粘り強く教える教師のようにすら見えるかもしれません。

 「ほうほう」と頷きながら、(先生、この仕事が本当に好きなんだろうなあ。毎回、こっちの身体を一所懸命心配して一所懸命ケアの仕方を教えてくれるのが伝わってくるよなあ)といつも思うのです。そして、安心するのです。

 当たり前ですが、熱意が伝われば、信頼と尊敬に繋がります。相手の安心にも繋がります。「この人に任せれば、大丈夫」、「この人が教えてくれた通り、まずはやってみよう」と思えます。

 「難しいことを、簡単に」、「明るく、楽しい雰囲気で」、「モチベーションが上がるような言葉を選んで」etc,etc……と気を使うのはいいことですが、それが小手先のテクニックのようになってしまっては、とても危険です。そうではなく、指導することへの“熱”があり、そこから自ずと生まれる「難しいことを簡単に」伝えようとする姿勢こそが、本来の在り方のはずです。
 安心や安全、公平性などを謳いながら、どこかの電力会社や報道機関がまるで尊敬されないのは、結局はこうした根本の部分、目の前の相手・問題に対する真摯な“熱”のようなものが存在しない単なるハリボテであることが、やはり透けて見えるからなのかもしれません。

 こんな季節ですし、暑苦しいキャラクターは嫌われる傾向もある昨今ですが、この先生や松岡修造さんのように(?)もう少し熱意が表に出るよう意識してもいいのかな、と一介のトレーニング指導者として感じる昨今です。