ソチオリンピック 〜我々は何を見たいのか?〜
ソチでの冬季オリンピック大会が無事閉幕しました。なんだかんだ言いながら(?)、私も眠い目をこすりながら多くのオリンピアンの活躍に興奮し、感動させてもらった一人です。
ロンドンオリンピックの際にもこのコラムで触れましたが、私個人はオリンピックをはじめとするスポーツ競技会の見方に関して、メディアや我々ファンが選手や競技そのものをもっともっと尊重すべきではないか、と思っています。今回のソチオリンピックでも、元ハードル選手の為末大さんが、
「記事に競技を分析したものが随分少ないなという印象がある。家族の事、人間性、仲間の話は十分にあっても、どういう戦略で選手が取り組んできて、結果どうだったか。それを分析した話が少ない」
とtwitterで述べていました。同時に、競技分析のような記事は「本当に世間が求めてないのかもしれない」とも。
国を代表して国際競技会に臨むほどの心・技・体を兼ね備えたアスリートをつかまえて、「好きな食べ物は何ですか」だの「帰ったら何をしたいですか」などとしょうもないことを聞き、相手が年少者の場合には友人でも何でもないのにタメ口で話しかける。挙句の果てには家族や親戚にまでマイクやカメラを遠慮なしに向けたり、入賞したにもかかわらず首から丸いものがぶら下がっていないだけで、「申し訳ない」と理不尽な謝罪をさせてしまう。
本当にこんなものを求めているのだとすれば、それは恥ずかしい限りです。そんな国がオリンピックを開催していいのか、とすら思います。
でも、少なくとも私やスポーツを愛する多くの仲間たちは、平野歩夢選手の好きな食べ物よりも、どういった準備で試合に臨んだのか、仮に食事のことを聞くならばアスリートとしての栄養指導はどんな形で受けているのか、といったことをこそ知りたいと感じています。浅田真央選手を「真央ちゃん」呼ばわりするのではなく(あれって本当に失礼ですよね)、「浅田さん」「浅田選手」と敬意を持って話しかけ、入賞を称えつつ、フリープログラムに向けてどうやって心身を調整し直したかを真摯に質問するようなインタビューが見たいのです。
アスリートはタレントではありません(talentという単語自体には才能、という意味がありますが)。我々一般人が真似できないような素晴らしいスポーツパフォーマンスで興奮や感動を届けてくれる、「スポーツ競技の専門家」です。
6年後の東京では、そんな彼らを心から尊敬しているような記事や映像こそが主流になればいいなと思いつつ、和やかな閉会式まで見てしまった16日間でした。
世界中の選手の皆さん、関係各位、お疲れ様でした。