【書評】 道、果てるまで(戸井十月/新潮社)

 鳥の目、虫の目、魚の目という言葉がある。物事を俯瞰的に見つめるマクロな視点、地に足をつけて個々の事象を見つめるミクロな視点、そしてそれらの物理的・時間的な流れを見つめる視点、三つのバランスとその重要性を表した例えであり、ビジネスシーンなどでよく用いられている。

 先月28日に肺癌のため死去した作家、戸井十月(とい じゅうがつ)氏の遺作『道、果てるまで』は、旅の達人として知られる氏がこの三つの目を自在に行き来しつつ世界を見つめる、小気味よい紀行文である。  

 自身のライフワークとも言える足掛け12年にも及ぶバイクでの“五大陸走破行”。本書はその最後を飾った四ヶ月間のユーラシア大陸横断の旅を綴ったものだが、氏は時にその土地の政治や文化を旅人らしい好奇心と冷静さで、また時には、人や時の流れを過去の旅路の感傷的なフラッシュバックとともに書き記してゆく。

例えば中央アジア、トルクメニスタン。
 -正面のビルの壁に掲げられているのは、グルバングリ・ベルドイムハメドフという、舌を噛みそうな名前の現大統領の肖像画。ふくよかな顔に浮かべた笑みはどこか嘘臭く、カルト教団の教祖のような不気味さで下々の者どもを見下している。「公の場に権力者の画や像を飾るような国はろくな国ではない」と言ったのはキューバ革命を起こしたカストロやゲバラだったが、その言が正しければ、イランもトルクメニスタンもろくな国ではないということになる。-

例えばモンゴル。
 -あれは北米大陸一周の時。北米大陸の最南端、中米六カ国を貫いて南下してきた道が終わる所にヤビサの村があった。
  
(中略)肩からマシンガンを下げてパトロールする男たち、暗い路地で遊ぶ子供たち、闇の奥から微かに聞こえてくるクンビアのリズム……。遠くまで来たなとふと我に返った。こんな村、多分、死ぬまでに二度と来ることはないだろう。しかし当たり前のことだが、この村の人々はこの先もずっとここで生きてゆかねばならない。-

しかし、どれだけ俯瞰的にその国を見つめても、どれほど時の流れに想いを馳せても、その視線は常に市井の人々とともにある。還暦を越えてなお愛車アフリカツインにまたがる旅の達人の瞳は、決してそのシートの高さを超えた“上から目線”となるようなことはない。

 -もっと現実の世界を直接見たい。生身の人間たちと直接出会いたい……。未知の世界を知れば知るほど、もっと知らない世界があることを知らされる。だから、旅をすればするほど旅への想いは募っていく。旅とは、そういうものだ。
お手軽に、要領よく世界の現実を知る方法など一体あるのだろうか?異なる歴史と文化の中で 生きる人間たちと、手っ取り早く、スマートに出会って理解し合う方法などあるのだろうか?テレビのコメンテイターに何秒かでまとめられてしまうほど、世界と人間は単純で薄っぺらなのだろうか?-

 地に足をつけ、旅を通して己の身の丈を学ぶことを心底楽しむスタイル。その本質を忘れることなく、時に鳥の目、時に魚の目を自在に行き来する自由闊達な視線。翼と鰭を併せ持った、この温かな虫の目が、ページをめくる我々の眼前にユーラシア各国の生身の姿を描き出してくれるのだ。

 最晩年、「今までで一番すごい冒険をしてしまった。」と、自身の闘病生活すら旅に例えた戸井さんのこと、きっと今もあの楽しげな笑顔で語っていることだろう。

「この先にも道はあるかって?もちろん、あるさ。」