コラム:母校へ恩返し

 この4月より、自らもOBである高校サッカー部にてフィジカルコーチを務めさせて頂くことになりました。

 全国大会に出たのは遥か昔、スポーツ推薦の選手などもちろんいない公立校ですが、20年前の自分と同じ色のユニフォームを身にまとい、同じ表情で真剣にグラウンドを駆ける部員達の姿は微笑ましい限りです。

 実は、彼らはほんの3年ほど前まで『グラウンドのないサッカー部』でした。

 県下有数の進学校である我が母校ですが、教育委員会から「学力向上進学重点校」に改めて指定されたことなどに伴い新校舎を建設、その大規模工事によってグラウンドがない状態が数年間続いたのです。  

 そんな折に丁度着任されたのが現在の顧問の先生でした。  

 自腹を切ってアメリカに渡ってコーチングライセンスを取得したり、ヨーロッパにふらりと足を運んで世界最高峰のゲームを生で観戦するなど、定年近くなってもサッカーへの情熱を持ち続けている、なんと言うか我々と同じ匂いのする(?)サッカーへの情熱溢れる素敵な指導者です。そんな方がいざサッカー部へ、と来てみたら「そもそもボールを蹴れる場所がないんだもの。参ったよ(苦笑)。」という状態だったのです。

 肩身の狭い思いで隣の高校のグラウンドを借りるなどしつつ細々と活動を続けたそうですが、そんな環境では運動部らしい雰囲気を保つのも難しく、正直、モチベーションの低い生徒もいたといいます。それでもこの先生は、「だからと言って辞めさせるわけにもいかないし、ね。サッカー部がなくなっちゃわないように何とかかんとか、グラウンドが出来るまで頑張ったよ。」と、“冬の時代”を笑顔で振り返ってくれました。言葉にすると簡単ですが、悔しいこと、腹立たしいことも沢山あったことでしょう。「もうやめた!」とその手を離しても誰も文句を言わなかったことでしょう。それでもじっと耐え忍び、古豪と呼ばれて久しい弱小サッカー部の灯を温かく守り続けてくれたのです。現役の部員達がここで大好きなサッカーが出来るのも、私が20年ぶりに母校へ恩返しする機会をいただけたのも、そのお陰と言っても過言ではありません。

 このコラムでも何度も触れていますが、我々トレーニングコーチは所詮は身体の鍛え方を教えるだけの仕事です。こんな風に何年にも渡って一つのチームを守り、存続そのものを支えるようなことなどほぼ不可能です。でも、だからこそ、少なくとも自らの分野におけるスペシャリストとしてこうした方々の力になりたい。怪我を防ぎ、よりよいパフォーマンスを支える身体づくりという一点だけでも、このチームを守り、支える一助になりたい。心の底からそう思います。

 季節は、春。冬の時代が去り、グラウンドとともに部に春が戻ってきたかつてと同様、私もチームに新たな光や熱をもたらすことが出来るよう全力で取り組んでいく所存です。

新年度もご指導のほど、どうぞ宜しくお願い致します。