コラム:バーベルの担ぎ方を教えるだけの仕事
数年前、とある先輩指導者が仰っていた一言が印象に残っています。
「私たちの仕事は世間から見れば“バーベルの担ぎ方教えてるだけの変な人”ですが…(苦笑)」
その通りだと、思います。
昔ながらの手弁当・ボランティア前提での活動を頼まれることがまだまだ多い現状に加えて『〇〇エクササイズ』、『××ダイエット』等々沢山のトレーニング情報があふれる昨今では、トレーナーという職業が医師や弁護士のような誰もが知っていて、お金を払うべき専門職としての社会的地位を得ることは難しいのは確かです。そして、その改善のためにも我々ひとりひとりが引き続き努力してゆく必要があると思います。
ただその一方で、いい意味で「世間から見ればこんな仕事」という視点を忘れては絶対にいけないのだということを、この一言は改めて気付かせてくれるのです。
『スポーツ医科学サポートスタッフ』などと言えばアカデミックで(?)聞こえはいいですし、400以上もある筋肉の種類や働きを覚え、様々な分野を学び、世界基準の資格試験(資格にもよりますが)をクリアし、難しい研究論文を読む必要もあるような私たちトレーナーという職業は本当に大変ですし、その分素晴らしいものであると信じています。
が、しかし。
ぶっちゃけて言ってしまえば、目の前のクライアントさんや選手にとっては我々がどんな資格や実績を持っていようが、どんな勉強をしていようが、あまり関係ありません。最終的にはご本人のコンディションやスポーツパフォーマンスが向上することこそが大切なはずです。
例えば、介護予防運動にいらして下さる60代のおばちゃんにとっては、こちらがCSCSだろうがアスレティックトレーナーだろうが健康運動指導士だろうが関係ありません。ファンクショナルトレーニングの理論をもっともらしく説く必要もありません。肩書きや実績よりも、「私の身体を良くするエクササイズを教えてくれる、信頼できる運動の先生」であればそれが何よりなわけです。だからこそ、難しいことを簡単に伝える話術(もちろん、その土台となる専門知識が必要なのは最低限です)や朗らかな人間性が重要ですし、いわゆる“専門バカ”にならないよう、それらを磨いていくことが実は最も難しいのだということを、駆け出しの身はいつも痛感させられます(おばちゃん、すみません…)。
「書を捨てよ、町に出よう」ではありませんが、新聞やニュース、他分野の書籍に目を通したり、映画を見たり、旅に出たりすることはそういった意味では、立派なトレーナー修行の一環となりますし、少なくとも、こうした一言の引用先が分かるぐらいの教養は常に持ち合わせていたい…と思いながら、自身も修行に励んでいます。
ちなみに冒頭の言葉は、「だけど、だからこそ、その“バーベルを担ぐだけ”の事、心身を鍛える事を通じて、選手やクライアントさんの人生が少しでも豊かになるようなお手伝いをさせて頂けると、とても嬉しいですよね」といった内容で結ばれていました。
その通りだと、思います。