トレーナーは誰のもの?

 若手のトレーナーさんやこの道を志す学生さんから「日本代表を担当したいです」「憧れの芸能人さんをサポートしたいです」という目標をよく耳にします。具体的な目標を持ち、それを口にできることは素晴らしいことだと本当に思います。

 ただ、トレーナー業界の中堅世代(と呼ばれる年齢になってしまいました:笑)の一人としては、その言葉の前に「機会があれば」「いつかチャンスを頂けたとすれば」といった一言を付け加えられるような、もう少し大きな視点や焦らないスタンスを持つといいのにな、とも思います。

 ご存知の通り、アスリート本人やアーティスト本人同様に、彼らと同じトップカテゴリーと呼ばれるレベルに抜擢されて活動するのは大変狭き門です。そして、トレーナーという職種は彼らよりも現場を引退するサイクルが遥かに長いポジションです。簡単に言えば、アスリート指導などの現場では「上が詰まっていて空きがほとんどない」仕事なのです。ですから、一足飛びにトップアスリート、トップアーティストを担当するなどもちろん無理な話ですし、そもそもそのレベルに対応できるだけの経験や実績をトレーナーとして積み重ねなければなりません。

 じゃあ、どこで経験を積むか? いつ来るか分からないチャンスを待ちながらも、確固たる目標を持ってプロとしての力量をどこで磨いていけばいいのか? 誰が、どこが、トレーナーという専門職を必要としてくれているのか?

 答えはお分かりの通り、一般の方々へのトレーニング指導です。

 スポーツクラブや公共運動施設、医療施設ではより良いフィットネスライフやスポーツパフォーマンス、病気や怪我の治療のために運動指導を求める人々が、しかも大変ありがたいことにその価値を理解してトレーナーという専門職に対価を支払って下さる人々が沢山いらっしゃいます(だからこそスポーツクラブなどはコンビニや居酒屋のような単なるアルバイト主体の現状を改善しなければならないわけですが)。

 一部のトップアスリートやアーティストといった人々は、「それで飯を食っている」人々であり、トレーニングも仕事の一環として取り組んでくれます(もちろん、取り組み方に差違はありますが)。

 しかし、例えば数十年間に及ぶ運動不足により肥満や糖尿病にかかってしまっている人の場合はどうでしょう。それよりも遥かに運動に対する意識が低く、言わばトレーニングへの向き合い方がマイナスの地点からの出発となります。こうした人に運動の必要性を説き、低体力に見合った、かつ疾病からの回復をもたらすようなトレーニング指導を行うこと、これはある意味トップアスリートを指導するよりも難しいかもしれません。そして、こうした指導例は担当トレーナーに実に多くの経験や成長を与えてくれ、結果として自身の実績にも繋がっていくのです。

 実際、現在トップアスリートを指導されているトレーナー(トレーニング指導員)の方々のほとんどはかつてスポーツクラブや公共施設で経験を積まれており、また(これが大切だと思うのですが)必ず「アスリートと一般人、どっちが上とか下とかなんて全くないですよ(笑)」と口にされます。

 そうした方々には及ぶべくもありませんが、私自身も拙いキャリアの中で芸能人の方々を指導させて頂いた際には同じホモサピエンス=ヒトであることにはなんら変わりないことを念頭に置いていましたし、何か特別なエクササイズを処方したことなどももちろんありません。

 繰り返しになりますが、一般の方々へのトレーニング指導、フィットネス指導は実に多くのことを学ばせてくれますし、トレーナーとしてのキャリアアップにも十分に繋がります。大切なのは、「自分が誰を指導したいか」ではなく、「誰が自分を必要としてくれているのか」にきちんと目を向けることではないでしょうか。

 TrainerやTrainingの元であるTrainという言葉の語源には「長く続ける、引っ張る」という意味があります。アスリートだから、一般人だから、と区別することなくプロとしての自分を必要としてくれる人を目標達成に向けて引っ張ること、トレーニングを続けていくお手伝いをすること、それこそが言葉の真の意味での“Trainer=トレーナー”なのではないでしょうか。そして、そうした人の元にこそ数少ないチャンスももたらされるものだと信じています。